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阪本鶏卵と倉敷水島のあゆみ

阪本鶏卵と倉敷水島のこれまでを写真と一緒に振り返り、ともに歩んできたストーリーを紡ぎます。
阪本鶏卵と倉敷水島の歴史をぜひご鑑賞ください。

倉敷水島 昭和のあゆみ

産業

水島コンビナートの黎明期。
石油化学工業や繊維業の操業開始と、
水島港の大規模な工業港としての整備で
多くの働き手が必要になった。

■工業
水島コンビナート
水島コンビナート

(倉敷市水島海岸通、昭和36年)
タンクに描かれているのは、カクタス(サボテン)マーク。昭和36年、日鉱石油が水島製油所の操業開始を機に、給油所のシンボルマークとして採用したもの。
(倉敷市所蔵公聴広報課移管写真)

新三菱重工水島工場
新三菱重工水島工場

新三菱重工水島工場
(倉敷市水島海岸通 昭和34年)
小型三輪トラックを主力としていたが、昭和34年から「三菱 ジュピター」の生産を開始した。以降、中型四輪トラックの生産を中心とする。
(提供:岡山県立記録資料館)

■農業
水島酪農
水島酪農

水島酪農 (倉敷市 昭和36年)
戦後、栄養補給の観点から国が酪農を保護奨励し、岡山県の酪農 は急速に進展した。零細農家が増え、昭和26年には福田町の北畝に水島酪農共同組合が発足し、乳牛飼育が促進された。
(提供:岡山県立記録資料館)

暮らし

倉敷駅や臨海鉄道の水島駅。
栄町商店街や警察署、小学校など
工業地帯の繁栄と共にさかえた
町並と人々の暮らしを追う。

■倉敷
昭和40年代の倉敷駅前
昭和40年代の倉敷駅前

倉敷駅前
倉敷市阿知1丁目 昭和40年代
木造モルタル造の二代目倉敷駅舎から撮影された駅前の様子。
(倉敷市所蔵公聴広報課移管写真)

■水島
水島栄町商店街
水島栄町商店街

倉敷市水島栄町・東栄町 昭和38年
(提供:岡山県立記録資料館)

水島港を俯瞰する
水島港を俯瞰する

倉敷市南畝 水島福崎町 昭和35年
商港として始まったが、大型タンカーが接岸できる港の必要性に迫られ、工業港として 壮大な整備計画が始まった。
(提供:岡山県立記録資料館)

水島商店街
水島商店街

水島商店街 倉敷市水島西常盤町
昭和38年
水島商店街は、工業地域の急速な成長に伴い、新興の商店街として栄えた。
(提供:岡山県立記録資料館)

水島の出勤風景
水島の出勤風景

水島の出勤風景(倉敷市、昭和 37年)
舗装されていない道を自転車で通勤する人々。
(提供:岡山県立記録資料館)

水島鉄道(現 水島臨海鉄道) 水島駅
水島鉄道(現 水島臨海鉄道)
水島駅

水島駅 倉敷市水島東千鳥町 昭和33年
水島鉄道(現 水島臨海鉄道)は、もともと三菱重工の専用鉄道として敷設された。
昭和23年8月から旅客鉄道として正式に営業開始。写真は、倉敷市営だった頃のもの。
(倉敷市所蔵安藤弘志氏寄贈写真)

阪本鶏卵のこれまでとこれから

原点

呉服店に勤めていた祖父、竹志が撤兵され、
戦地で足を骨折して入院。退院後、
自宅敷地内で始めた
日用品や食料品を扱う
「阪本商店」として創業。
水島工業地帯の発展とともに、
地域に愛される店として
卵の卸業から加工製造まで発展する。

昭和初期
(1930年頃)
創業者の歴史 祖父、竹志が菓子の卸売業と商店を創業。
自宅敷地で食料や日用品を販売する。
創業者の歴史
創業者の歴史

太平洋戦争の時代に徴兵で戦地に向かうが、手榴弾の破片を受け、足を骨折したため入院していた。
陸軍大臣 東條英樹氏からの賞状が残る。

創業者の歴史

呉服屋勤めの時代。
昭和9年11月、下津井鷲羽山公園に慰安旅行へ行った時の記念写真。

昭和20年代
(1945年頃)
阪本商店創業 祖父、竹志が菓子の卸売業と商店を創業。
自宅敷地で食料や日用品を販売する。
阪本商店創業

自宅の敷地で営業していた「阪本商店」の外観。食料品や駄菓子、日用品を販売する昔のコンビニのようなスタイルだった。地域の方が集まる憩いの場にもなっていた。

昭和41年
(1966年)
阪本鶏卵創業 初代社長 阪本安弘
阪本鶏卵創業

自宅で創業した当時のGPセンター。小規模の養鶏場から卵を仕入れて洗浄・選別。パック詰めの卵を地域でいち早く販売した。

阪本鶏卵創業

バキューム装置で、一度にたくさんの卵を箱からラインへ。

昭和56年
(1981年)
有限会社阪本鶏卵
法人設立
有限会社阪本鶏卵 法人設立

倉敷市南畝(現在の場所)にGPセンターを新築移転した当時の様子。生卵の業務用、量販店用などを製品化し広域へ販路を拡大していく。

昭和63年
(1988年)
玉子焼工場新築
玉子焼工場新築

主に水島コンビナート向け産業給食の一品としての製造をしていただし巻き玉子。1日1万食以上分の注文を受けることも。

平成15年
(2003年)
玉子豆腐・茶碗蒸し
製造開始
玉子豆腐・茶碗蒸し製造開始

地元スーパーマーケットを中心に販売スタートした「たまご屋さんのたまごとうふ」。その後、介護食など業務用需要も拡がっていく。

平成16年
(2004年)
本社事務所新築
平成18年
(2006年)
玉子豆腐工場新築
平成23年
(2011年)
美星農場新設
美星農場新設

岡山県井原市美星町に阪本鶏卵初となる自社養鶏場を開設し鶏卵の生産をスタートする。

美星農場新設

養鶏場開設と同時に地域資源を活かした自家製発酵エサの製造をスタート。良質な卵の生産を目指す。

美星農場新設

『星の里たまご』誕生。ネーミングは地域に根差した美味しい卵の生産を目的としたもの。美星町ブランドを広く発信していくきっかけとなる。

平成29年
(2017年)
社長交代 2代社長 阪本晃好
令和元年
(2019年)
リブランディング計画
スタート
リブランディング計画スタート
Vision Map All-around Egg Company

阪本鶏卵の将来図を描いたヴィジョンマップ。水島と美星町の二つの拠点を双子卵の目玉焼きに模して各拠点の役割と地域の要素、仲間やお客様が描かれている。

令和2年
(2020年)
新しい阪本鶏卵
ぞくぞくと!

1月 工場直売事業スタート
2月 地域コラボ商品販売スタート
4月 たまごサンド販売スタート
5月 水島本社工場直売所OPEN
9月 鶏舎オーナー制度スタート

新しい阪本鶏卵ぞくぞくと!

直売事業の原点。当初は玉子焼工場前にて土曜日の1時間限定で焼きたての厚焼玉子を販売していた。

新しい阪本鶏卵ぞくぞくと!

5月20日、水島本社の敷地内に1.5坪の小さな工場直売所をオープン。自社商品のPRと共に地域の交流拠点としての役割を目指す。

新しい阪本鶏卵ぞくぞくと!

4月たまごサンド製造販売を本格スタート。卵本来の美味しさを味わっていただくため手づくりにこだわって製造。阪本鶏卵が手掛ける6次産業化の象徴的な商品となる。

令和3年
(2021年)
美星直売所オープン
美星直売所オープン

4月22日、自然豊かな標高400mの山の上に朝どれ卵の直売所「阪本鶏卵美星直売所」をオープン。

美星直売所オープン

美星直売所の店内には洗卵選別機が設置されており、卵をきれいにしてサイズごとに振り分けられる様子が見学できる。また卵詰め体験も可能。

美星直売所オープン
Vision Map Bisei Egg Park

美星町の自然の中で非日常体験を楽しんでもらえるような直売所を目指して今後の構想を描いたヴィジョンマップ。

たまごサンド開発ストーリー

2017年 星の里たまごのブランド化を進める中で広く一般に受け入れられるような商品の開発を考えたまごサンドに着目。阪本鶏卵にしか出来ないたまごサンドを構想する。社長自身が行きつけの飲食店へ試作を持ち込み店主や常連さんに試食をしていただきながら試作改良を繰り返す。フードコーディネーター灰原沙織氏とたまごサンドのための優しいたまごソースを共同開発。
2019年 ゆで卵サンド、煮卵サンド、厚焼サンド、鶏そぼろサンドの4種類の4種を開発。
厚焼玉子など阪本鶏卵がこれまで製造してきた商品をたまごサンドに活かす。
2020年 1月 総合化事業化計画策定と直売事業スタート。
2月 新型コロナウイルス感染症拡大の影響により業務用販売の売上が減少。
3月 たまごサンドの製造販売について総合化事業計画の認定を受け鶏卵の生産から加工販売までの6次産業化に取り組み直売事業の加速を決断する。
4月 たまごサンドの本格的な製造販売を開始する。
9月 NHK岡山 もぎたて にてコロナ禍で売上げ挽回の人気商品となった。
「起死回生のたまごサンド」として取り上げられる。
2021年 3月 テレビ東京 カンブリア宮殿 にて阪本鶏卵の直売事業とたまごサンドが取り上げられる。
2022年 3月 期間限定商品 たまごサンドマイルドカレーを新発売。
たまごサンド製造チームの声

【たまごサンド製造チームより】

白身がしっかりとしている星の里たまごじゃないと厚みのあるたまごサンドは作れません。パンに盛り付ける時の感触も星の里たまごはフワフワとして卵自体の品質の良さを感じています。卵は季節によって状態が違う(水分量など)ので毎回細かい調整をしなければならないのが難しいところです。また、手作りのたまごサンドになりますので製造量の限界もあります。星の里たまごは旨みが特徴なので卵本来の旨みを感じてもらえるようなたまごサンドが作れるように心がけています。是非、多くのお客様にご賞味いただきたい商品です。